Reportage
SELP訪問ルポ
社会福祉法人珠明会(石川県加賀市)
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社会福祉法人珠明会(石川県加賀市)
珠明会は、知的障害者入所授産施設「カナンの園」を運営する社会福祉法人である。石川県加賀市の山中温泉へと向かう山間に、「カナンの園」の施設は建っている。「カナン」とは、旧約聖書で神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地のことであり、「希望の地」という意味で使われている。
施設の資料によると、「自立とは『能力の上限に生きる』ことと信じます。この子たちには継続し適度に健全な刺激をうながしはたらきかけ、その子なりに自己啓発へ発芽するよう、焦らず、こころをくだいてまいりたいと考えます。この子たちが何時の日か、自立にめざめることを私共の信仰として『カナンの心』を実行してまいります」とある。つまり、園生たちの自立生活を「約束」するための施設というわけだ。
作業品目は、この地方に古くから根付いてきた伝統工芸品・山中漆器の製造である。自身が障害児を持つ父親でもあった鹿野秀朔理事長(73歳)が山中漆器産地を代表する漆器メーカー「鹿野漆器株式会社(現カノー株式会社)」の代表取締役であったため、会社が持っていた漆器製造の技術を障害者に伝え、彼らの自立生活を支援できる施設として、1985年に「カナンの園」が開所した。
近代漆器の先駆けである山中塗
山中塗とは、石川県加賀市の山中温泉地区で生産される漆器のことである。もともと温泉の湯治客相手の土産品でしかなかった山中漆器が、合成樹脂•合成塗料を使った大量生産•廉価販売の近代漆器として生まれ変わり、山中地方は全国一の生産量を誇る漆器生産産地に成長した。
この近代漆器の製造法を発案し、日本でも初めて本格的な事業展開をスタートさせたのが実は昭和26年当時の鹿野漆器株式会社(現カノー株式会社)であるという。輪島塗等、他の伝統工芸と同様、木をくりぬいて作り出す素地に、職人たちが漆を何度も手塩にかけて塗っていた昔ながらの山中塗。しかし素地をプラスチックや木乾(木片を樹脂で固めた特殊素材)に変更し、合成塗料を吹き付けることによって格段に生産性が向上し、製品を安価に提供することができるようになった。
天然木の素材をロクロ挽きし、本漆を重ね塗りして仕上げる伝統工芸の漆器は、蓋付き椀にしても1客あたり数万円もする高級品であり、一般家庭ではとても使えないものである。当然、電子レンジや自動食器洗い機などの台所用機器にも対応しておらず、若い人たちからは敬遠されがちである。そんな中、日本の伝統である漆器の美しさを日常生活に甦らせた点こそが、山中塗を代表とする近代漆器がもたらした功績といえる。
山中漆器産地では生産体制を効率化させるために、伝統工芸分野では数少ない「工場団地」を形成しているのも特色である。家内工業が主体であり、工程別分業が進み、200を超える工房が近隣に散在する産地機構を最大限に活かした取り組みだ。また任意組合として「山中漆器販売事業協同組合」もあり、小規模家内工業の販売活動を支える一助ともなっている。鹿野理事長率いるカノー株式会社は、産元商社として組合活動にも協力参加しているわけだ。
多品種の山中漆器を加工する!
「カナンの園」でおこなわれている漆器製造作業は、主にカノー株式会社からの発注が中心である。下請け作業だけで、カノー株式会社からの仕事は年商で2,500万円にのぼっている(全体売上は、約3,000万円)。
施設内でおこなっている工程は主に、親会社で成形されたプラスチック素地に、「塗装ガン」で合成塗料を塗ったり、色付け作業をする部分だ。まず生地の埃などの汚れを綺麗に拭き、次にガンと呼ばれる塗装スプレーで合成塗料を次々生地に吹き付けていく。それらを台車に並べて乾燥庫で乾燥させた後、「天縁」と呼ばれる椀の縁部分に赤や黒の塗装を手塗りする作業や、模様などがあるデザインの場合にはスクリーン転写で絵付けをしていく…。
工程自体は単純なものだが、取り扱う商品アイテムの数が半端でないくらい多いのが特徴だ。木目ゆり型汁椀、レンジ汁椀、夫婦椀、木の葉皿、花形盆、四季入子弁当箱、エコ弁君(ジョイント箸付)、角三段重、カラー食器、アドレス帳、回転リモコンラック、ピクチャーフレーム等々…。その数は、カラーバリエーションも入れると何百種類という煩雑さであり、大量の漆器が次々と製作されている現場の様子は、まるで企業の漆器工場そのものだ。しかしその印象を告げると、鹿野理事長はにこやかに笑って否定してくれた。
「そう言ってもらえるのは有り難いですが、漆器のプロである私たちからすると、まだまだホントにお恥ずかしいレベルなのですよ。25年かかって、なんとか人並みの仕事が出来るようになりましたけど。『カナンの園』が出来た頃は、本当に苦労しました。いくら仕事を発注しても、仕上がってくるのは不良品ばっかり。社員たちから『これ以上、カナンに発注するのをやめてくれ』と懇願されるほどでしたから(笑)」
まともな製品作りが出来なかった原因のほとんどが、園生ではなく職員の力量不足にあったのだという。「手工芸に対する姿勢、コスト意識、納期意識が全く無く、事業責任者としての自分自身の不明を痛感したものです。園生の教育以前に、職員の教育に四苦八苦したのが設立当初の苦い思い出ですよ」
山中漆器産地を代表する大手漆器メーカーの代表だからこそ、たとえ福祉施設であっても一漆器工場として恥ずかしくない仕事ができるように厳しく教育する。そんな思いが感じられる指摘である。職員たちはカノー株式会社の現場に派遣され、プロの漆器職人たちから徹底的に最低限の技と企業人としての考え方を仕込まれたのだという。そんな苦労が実り、現在では素人目には立派な漆器製造工場と思えるほどの現場が出来上がったというわけだ。
技術者を育て、近隣漆器団地への一般就職をめざす
ところで「カナンの園」の入り口には、天縁、転写、金箔、漆芸といった技術の紹介コーナーが設けられている。普通なら施設で作られた製品をこれ見よがしに美しく並べられたショールームとなっているところである。しかしここでは商品の見本は一個も展示せず、あくまで漆器製造に関する基礎技術の紹介に徹した非常に地味な展示になっている。これはどうしてだろうか?
「以前、工場団地に所属する企業の担当者を集めて、『カナンの園』の園生たちの技術力をアピールするイベントを開催したことがあるのですが、これはその時使った見本を展示したものなのですよ。つまり、すべて園生たちの技術の結晶です。漆器関係者であれば、『どれくらいの技術を持っているのか』がすぐに理解できます。つまりこの展示は一般客用ではなくて、関係者に向けた園生の就職デモンストレーションルームになっているのですね」と、事務長の豊田幸盛さん。
「カナンの園」で働く園生の最終目標は、やはり一般企業への就職である。施設で働くことはそのための第一歩に過ぎない。それゆえに漆器製造に関する技術を身につけ、近隣の工場団地(企業)に就職させることが最大の目標なのだ。これまでに10人の園生がこの夢を実現し、施設の近くに建てられた福祉ホーム「さんあいコーポラス」で生活するようになっている。
工場団地の組合員企業であり、カノー株式会社の下請企業のひとつでもある「池端漆工」は、「カナンの園」の園生を5名も雇用してくれている企業である。親子で工場を運営する典型的な小規模工房だが、生産性を少しでも向上させるために最先端の機械と職人サポート人材の確保が必要だった。まったくのゼロから教え込む新人よりも、ある程度の技術を持つ彼らは最適の人材だったらしい。
「一挙に5人も雇用してしまったので、最初はやっぱり大変なことはありました。一人でも精神的に安定しない人がいると、他の人にも影響しますからね。でも普段はとても真面目に働いてくれますし、私を母親のように慕ってくれるので愛情も湧いてきます。みんながもっと立派な仕事ができるように、これからもしっかり見守っていきたいです」と語るのは、池端漆工の池端富子さんだ。小さな工房でも、しっかりしたサポート役がいれば園生たちの働く場が確保できるはずである。「池端漆工」の取り組みは、「カナンの園」のそんな理想を具現化してくれた貴重な事例だと言えるだろう。
鹿野理事長は、園生たちの教育で一番気をつけているのが「さんあいの約束」なのだという。「職場で一番大切なことは、人に感謝したり、思いやりを持ったり、自主的に仕事を進めるという考え方を持つことです。これを私たちは『さんあいの約束』と呼んで、園生たちに徹底的に教育しています。どんなに能力を持っていても、しっかりした挨拶もできなかったり、ミスしたら素直に謝ることができない人材は、産業界では使い物にならないのですよ。これからもこういう基本を大切にして、少しでも多くの障害者が自立できるようにサポートしていきたいと考えています」
「カナンの園」で社会人としての基礎と山中塗の技術者としての基礎をたたき込まれた園生たちが、工場団地内の企業に次々羽ばたいていく。そんな夢をめざして、今日も鹿野理事長の厳しい叱咤激励は、きっと園生だけでなく職員たちにも向けられていることだろう。
(文・写真:戸原一男/Kプランニング)
※この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時(2011年04月18日)のものです。予めご了承ください。