Reportage
SELP訪問ルポ
特定非営利活動法人さぽーとセンターぴあ(福島県南相馬市)
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さぽーとセンターぴあの概要
さぽーとセンターぴあは、自立研修所「えんどう豆」(就労継続支援B型事業)、自立研修所「ビーンズ」(就労継続支援B型事業)、デイさぽーと「ぴーなっつ」(生活介護事業)、相談支援事業所「そらまめ」等の障がい者支援事業を運営するNPO法人である。
南相馬市内に障がいのある人たちの働く場がなかった時代、特別支援学校を卒業した子どもたちは市外の入所施設か、在宅生活を選ぶかの二者択一を迫られていた。そこで親の会が「自分たちで子どもの働く場を作ろう」と立ち上がった。幸い、障がい児を受け入れていた保育園に協力いただけることになり、敷地内に無認可作業所「えんどう豆」を設立したのが始まりだという。
その後2006年にはNPO法人化し、「えんどう豆」に続いて「ビーンズ」を開所した。その目的はこれまで以上に仕事に力を入れることであり、利用者の個性を活かしながら、少しでも高い工賃を稼げるような取り組みを模索してきた。その結果、さをり織り、カフェ ビーンズ(喫茶店)、シルクスクリーン印刷、メール便、清掃作業…等々、さまざまな作業が生み出されたのである。とくに2009年の南相馬市立図書館の開設時にオープンした図書館内カフェの運営は大繁盛となり、「職員が毎日厨房を走り回り、休憩も取れない」状態だったという。
東日本大震災によって建物は半壊。壊滅的な被害を受けた
そんな「ビーンズ」だが、2011年3月11日に起こった東日本大震災によって壊滅的な被害を受けた。所長の北畑尚子さんは次のように振り返る。
「当時私は、カフェ ビーンズの担当職員として、一日中厨房を駆けずり回っていました。地震は、そんな中で起こったのです。ビーンズの中はあらゆる備品が飛び散って、グチャグチャ。建物も半壊状態になってしまいました。職員も利用者さんの自宅も被災して、全員避難を余儀なくされました。事業が再開したのは1か月後ですが、ビーンズの建物は使いものにならないため、建物が無事だった生活介護事業所「ぴーなっつ」の1室を間借りする形でのスタートでした」
最初は、利用者も2〜3名という状態だった。2ヶ月ほど経つとようやく遠方に避難していた職員や利用者も戻って来て、新たな建物を借りた新生「ビーンズ」が動き出したのである(現在の「ビーンズ」は、震災後に資材置き場として使われていた市の建物を無料で譲り受けた)。
再開したとはいえ、福島原発事故による放射能汚染の影響で、地域にはまったく活気がなくなった。カフェのある図書館に人は集まらないし、メール便、清掃などの仕事もまったくない。人が集まるイベントは軒並み中止となり、さをり織りグッズ等を販売していたバザーも再開の見込みなし。せっかく来てくれる利用者にやってもらう作業は、職員が書き損じた用紙を裁断するくらいしかなかった時期もあったらしい。
そんな状況を変えたのは、障がい者施設の復興支援のために集まってくれたボランティアだった。JDF(日本障害者フォーラム)に加盟する全国の障がい者施設の職員(ベテラン職員や事業所長)たちが、続々と被災地の調査と支援にやって来たのだ。被害の大きかった「ビーンズ」にも、数名の職員が派遣されている。ボランティアといっても、長い間自分の施設運営を担っている人たちである。現場や利用者の様子を見て、新たな仕事づくりを提案したり、利用者送迎などを約3年間にわたってサポートしてくれたのだという。
震災後のネットワークによって生まれた新しい仕事
高校野球チームの「硬式ボール修繕」も、ボランティア職員の提案から生まれた仕事である。高校野球で使う硬式ボールは、何度も使うと糸が切れてしまう。練習後に部員たちが修理した時代もあったが、現在はほとんどが使い捨てとなっている。「道具を大事にする」という観点からも、リサイクルが望ましいのは言うまでもない。そこでボール修繕の仕事を障がい者の施設に請け負ってもらうというプロジェクトが京都で始まっていて、サポートスタッフの仲介で「ビーンズ」もそこに加わった。
「残念ながら現在は他の仕事が動き出したので手が回らなくなり、全国の高校野球チームのボール修繕を手がけるプロジェクトからは外れました。でも地元の高校(聖光学院)のボール修繕だけは続けています。利用者と一緒に納品に行くので、高校生との交流もでき、とても意義ある仕事だと思っています」と、北畑さん。
「ゲラメモ」も、震災後の人的ネットワークによって誕生した。東京での授産製品販売会に参加したことがきっかけでPre Nipponプロジェクトに参加することになり、出版社から提供されるゲラ(書籍の校正時に赤字訂正を入れるために使われる用紙)の裏紙を活用する仕事を任されたのだ。これまで廃棄されていたゲラを二つ折りにし、和製本四つ目綴じという職人技を施すことによってリニューアルされる。被災地の「再生」と、「これから」の思いが込められた素晴らしい商品である。
「ゲラメモ」を作るには非常に難しい技術が必要なのだが、訓練の結果、利用者の中にはすべての工程を1人でこなせるほどの職人も育っている。現在ではこの技術を使い、自分たちで染めた和紙を表紙に使った「和紙メモ」等のオリジナル製品も製作する他、御朱印帳などへの展開も検討中だという。
被災地支援助成金を活用し、本格的なパン工房も設置
製菓・製パンも、震災後に新たに加わった仕事である。被災地支援助成金を活用し、業務用オーブンなどの本格的な機材を設置。日本セルプセンターが主催した被災地障がい者事業所向けの「製菓・製パン技術研修会」に参加しただけでなく、担当講師を独自に招へいし、職員や利用者の製パン技術をゼロから徹底的に鍛え直してもらったのだ。その結果、製品の質や生産効率が格段にレベルアップしたという。
「パンの販売は、注文販売が基本です。月曜日に近隣住宅、企業、老人ホーム、市役所、関連団体などに注文票の付いたチラシをまき、残りの火・水・木・金で配達していきます。マンネリにならないように、リンゴパン、イチジクパン…等々、つねに新しい季節商品をメニューに加えています。今では、カフェと並んで事業所売上の稼ぎ頭になりました。2つを併せると、全体売上の3分の2を超えるほどです。パン事業がこんなに成功したのは、なんと言っても講師の先生のおかげです。商品開発にプロの力を借りることの重要性を、身をもって体験しました」と北畑さんは、講師への感謝の気持ちを語る。
「ビーンズ」でもっとも歴史ある作業として続けてきた「さをり織り」も、順調のようだ。障がいのある人たちの個性をそのまま活かせる作業のため、1人ひとりまったく違う織物が誕生するのだ。ケセラセラタイプの利用者さんは、ダイナミックな色使いで職員たちを驚かせるし、きっちりした性格の利用者さんは、自らネットで調べて精密な文様の「あじろ織り」を紡いでいく。生地を一目見れば、職員なら「これは誰が織ったか一目瞭然でわかる」ほど、特徴が現れているらしい。
こうして完成した生地をもとに、ブックカバー、ポーチ、名刺入れといった製品に加工する。一番人気となっているのは、スマホショルダーだ。ショルダー部分を調整すれば、肩掛けにもウエストポーチにもなる2wayタイプのスグレモノで、スマホだけでなく、ボールペンなども入れることが出来る。1個2,700円という価格にもかかわらず、イベントなどでは大人気。近隣の歯科医院からはスタッフ全員に配るために40個もまとめて購入してくれたこともあった。


やがて芽を出す「豆」となるために
震災の復興期から10年が経ち、これからという時期に今度はコロナ禍に見舞われ、「ビーンズ」の事業は回復スピードが緩んでいるのも事実である。コロナの特需として、南相馬市長寿福祉課からの依頼(優先調達推進法の活用)で、敬老会が対象者(12,000人)に配布するエコバッグの印刷という大きな仕事も請け負ったが、当然これは毎年続くものではない。現在の月額平均工賃38,000円(令和5年度実績)をさらに引き上げるためにも、さまざまなアイデアを駆使する必要があるだろう。
各方面からのサポートの結果、現場は着実に力を付けている。講師に直接指導してもらって自信をつけた製菓部門が、福島県授産事業振興会主催の平成30年度授産施設製品(商品)開発コンクールに応募したところ、「えごまサブレ」が見事に食品の部・金賞を受賞した(同コンクールの食品の部では、令和元年度に「ゆずぴーる」が金賞、令和2年度に「りんご豆乳ブレッド」、令和3年度には、「豆パン」が農福連携特別賞を受賞している)。エコバッグ12,000枚のシルクスクリーン印刷をこなしたことやコンクールでの受賞などは技術力や生産力が着実に向上した証拠だろう。これをしっかりとアピールし、受注活動につなげるための営業力が加われば、以前にも増した事業展開が可能になるはずなのだ。
事業所名の「ビーンズ」とは、日本語で「豆」の意味である。1つ1つの姿や形、大きさの違う「豆」でも、やがて芽を出して成長する姿をイメージしたという。「ビーンズ」で取り組むさまざまな事業が、大きく花開けるように今後も見守っていきたいと思う。
(写真提供:NPO法人さぽーとセンターぴあ、取材:戸原一男/Kプランニング)
※この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時(2025年03月01日)のものです。予めご了承ください。