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社会福祉法人柚の木福祉会(福岡県糟屋郡)

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柚の木福祉会の概要

柚の木福祉会は、レストランゆずのき(就労継続支援A型・B型事業)、レストランゆずのき須恵店(就労継続支援A型事業)、柚の木学園(生活介護事業)、あゆみのもり須恵(生活介護事業)、Create803(就労移行支援事業・就労継続支援B型事業)、YUZUKA(自立訓練事業・就労継続支援B型事業)、ふれあいの部屋(無認可作業所)等の障がい者就労支援系施設を運営する社会福祉法人である。

この他にもBFクローバー・カムカムホーム和(ケアホーム)やパワフルキッズ(児童発達支援センター・乳幼児発達支援事業)、PK2(学齢期発達支援事業)、すりーる(児童発達相談)、みんなの家ゆず(高齢者小規模多機能型居宅介護事業)、ヘルパーステーション幸&福(障がい者居宅介護・高齢者在宅介護事業)等、子ども・高齢者・ハンディのある方の「自立・成長・生き甲斐」を、ライフステージ全般を通じて支援することをめざしている。

法人設立の原点は1980年の無認可作業所「柚の木作業所」だが、現在のように事業が大きく動き出したのは1993年に白谷憲生現理事長(55歳)が参加してからである。東京で民間保険会社の事業所長をしていたという白谷氏は、義父の依頼で行き詰まった法人運営を任されることになり、まったくの福祉の門外漢ながら「柚の木学園」の園長として改革を始めることになった。

改革のポイントは、地域に知られる施設となること

白谷氏の基本的な考えは、「地域の人たちに施設をもっと知ってもらうこと」である。当時の柚の木学園は、中でどんな人たちがどんな活動をしているのか、近所の人たちにはまったく知られていなかった。「町に出よう」と提案しても、肝心の施設職員や保護者たちから反対されてしまうような状況である。そこである時、施設を開放した福祉バザーを企画。内外からの抵抗も強く、悪天候のために来場者も微々たるものであったにもかかわらず、一番喜んだのは利用者たちであった。これまでになく敷地内をはしゃぎまわる彼らの姿を見て、少しずつ職員たちの意識も変わっていったのだという。

「それ以来、積極的に施設にボランティアを受け入れるといった手法も取り入れてきました。ボランティアといっても、お客さんではなくて重要な作業支援員の一人という位置づけです。彼らが頻繁に出入りしてくれることにより、利用者たちの会話は豊かになって、仕事へのモチベーションもアップします。外部の人たちと触れあうことが、何よりも最高の支援になっているのです」

と、白谷理事長。こうした地道な取り組みを継続した結果、現在では年間500人以上のボランティアが頻繁に出入りするオープンな施設に変化した。1999年には日本で初めて小学校の空き教室を活用した福祉創造塾「ふれあいの部屋」(無認可作業所)を開設。子どもたちと障がい者が日常的に触れあう空間を生みだしている。

「BFクローバー」「カムカムホーム和」も、地域住民の方を積極的に受け入れるちょっと変わったケアホームだ。町内会の役員たちが、年に数回定期的に訪れて利用者たちとの食事会に参加してくれるのだという。

子どもたちからお年寄りまで、町全体が柚の木福祉会の利用者たちと交流し、見守り、支援してくれる環境づくり。白谷理事長が描いた理想図は、着任から約20年の月日を経て今まさに開花しつつあるところだ。

街の中に大きな普通のレストランをオープン

柚の木福祉会が、地域との連携をさらに拡大するために2005年にオープンしたのが「レストランゆずのき」である。建物があるのは、福岡市営地下鉄とJR九州が乗り入れる姪浜駅から徒歩数分の好立地。入り口から店内に足を踏み入れると、「いらっしゃいませ!」という元気な店員(クルー)たちの声が迎えてくれる。店内は35テーブル、124席を備えるという巨大な空間だ。まるで大手ファミリーレストランかと錯覚するほどの大きさ。福祉施設が運営するレストランとしては、間違いなく国内最大級になるだろう。

「これだけ大きくしたのは、度肝を抜くほどのレストランにしたかったからです。規模だけでなく、料理のレベルも最上級。有名ホテルやレストランの総料理長をしていた一流シェフに参加してもらい、三人のコックとパティシエに思う存分、腕をふるってもらっています」

レストランで働く店員たちは、障がいのあるなしにかかわらず同じ船を任されたクルーと呼ばれている。障がい者の多くは接客や清掃などの担当だが、厨房に入ってプロの料理人たちと並んで堂々と調理や盛りつけもおこなっている。ハンバーグの手ごねのプロや、自らの名を冠したオムライスをつくる人たちまでいるというのだから驚きだ。

調理場はオープンキッチンになっていて、客席のどこからでも眺めることができる。お客様にとっては臨場感溢れるキッチンの動きを眺めるだけで楽しいが、働く人たちには緊張を強いられる空間だろう。あらゆる行動や会話が、すべて見られてしまうからだ。しかしこれこそ、白谷理事長がレストランで表現したいポイントだった。

「オープンキッチンにしたのは、私たちがいかに衛生的に調理をしているか自信がある証拠です。そしてもう一つ。レストランという職場においても障がい者たちが普通に働けるのだということを、多くの人たちに見てほしかったのですね」

白谷理事長が法人に参加したばかりの20年前なら「彼らを見せ物にするのか」という反対意見も出たかもしれないが、今やそんなことを言う人は誰もいない。これまでの施設運営の実績から、「見られることは、利用者たちの頑張る効果が生まれる」という独自の支援理論が徹底されているためである。日々お客さんたちから向けられる「頑張ってるね」「美味しかったよ」「また来るね」という感謝の一言が、彼らに自信と仕事へのプライドを持たせていく。白谷理事長は、敬意を込めてお客様のことを「食べるボランティアさん」と表現する。食べるボランティアの人数は、開店7年目ですでに487,706人を突破した。(2013年5月31日現在)

お客様との交流により、日々成長していくレストランゆずのきのクルーたち

レストランに勤務する障がい者クルーたちを紹介してみよう。徳永和央さんは、ホール担当。来店するとすみやかに客席に案内し、ハンディと呼ばれる機械でお客様の注文を取るのが仕事だ。今でこそ軽やかにハンディのタッチパネルを操作するが、当初はまったく対応できなかった。他のクルーが使っているのを見て憧れ、猛特訓の上でやっと使えるようになったのだという。「大きな声でご挨拶し、いつも笑顔でお客様に接することを心がけています」と、立派な発言をしてくれた。

厨房担当の板谷明信さんは、キッチンでの調理補助や弁当の盛りつけが主な作業内容。一番の特技は、ハンバーグの手ごねだ。手のひらで力強く、ボールから手が返ってくるように肉をこねる。シェフから学んだこの作業を完全にマスターし、レストランゆずのきの人気料理の一つでもあるハンバーグの隠し味を作りだしている。タマネギを切るのも、得意中の得意だ。「ときどき手を切るなどのハプニングはありますが、今の職場をクビにならないように頑張って働きたいと思います」と、真面目な顔で私たちを笑わせてくれる。

清掃担当の渡辺勇介さんは、開店前の店内清掃やワックス掛けの他、駐車場に止めてあるお客様の車の窓をサービスとして拭くのが仕事だ。アマチュア無線や介護ヘルパー2級の資格を取得した勉強家であり、休みの日には何度も福岡ドームに野球観戦に行き、ソフトバンクの選手からも可愛がられているらしい。「休みの日より、むしろ仕事している方が楽しいです」などと、上司受けする発言も自然と口にすることができる。

厨房でごはん接ぎを担当している田中りえさんは、人前ではすぐ顔を覆ってしまうほどの恥ずかしがり屋さん。しかし厨房に立つと表情が一変、きりっと引き締まったプロの顔つきになる。ランチではライス担当だが、土日に営業する夜の部ではビールサーバーも使いこなす。福岡市内から電車を乗り継いで1時間もかけて通勤し、休日には障がい者バンドのキーボードとして活躍するという忙しい毎日を送っている。

これがレストランゆずのきに勤めるクルーたちの一部である。働く姿だけ見れば、誰がどういう障がいなのかほとんどわからない。お客様に美味しい料理を提供するという共通の目的のために、すべてのクルーが一体となって働いているのである。

町全体がハンディのある人たちを支援する施設に

レストランゆずのきにおいて、彼らがこれだけ安定した働きを見せるようになったのは独自の支援理論の賜だろう。広報誌「柚の木だより(No.304)」で、白谷理事長はその基本的な考えを次のように記している。

「支援は自分を知ること(自己覚知)から始まります。人は無意識のうちに自分なりに作り上げた価値観や経験、考え方、知識などに覆われて情報を認識します」「支援員は自己流のモノサシ=偏った見方が自分の中にあるということを認識することがとても重要になります」「”偏った見方をしているかもしれない”これはクルーをはじめ、利用者様自身にもぜひ知っていただきたいことです。『私はできない』本当にそうでしょうか。できないと言われ続けてきたから『自分には能力がない』とあきらめてしまってはいないでしょうか。限界を自分できめてほしくないのです」「小さなことでも工夫を凝らし、小さなステップで系統立て、図や写真などで見える化を図り、時間をかけ、成長の度合いを実感できるように皆でほめていくと…そう! 成功への階段は必ず上っていけるのです。これは障がい者、健常者、こども、高齢者、社会人など、どの方にも合うユニバーサルな成長メソッドです」

続けて、白谷理事長は説明する。

「私たちがさらに大切にしているのは、利用者たちが法人内のどの施設に行ったとしても同じ支援が受けられること。そのため、一人ひとりのケース記録はすべてデータベース化し、職員がどこからでも簡単に検索閲覧できるようなネットシステムを構築しました。利用者個々の特徴や支援ポイントはみんなで共有しあっています。いつも同じ人からの支援を受けるのではなく、さまざまな人たちと交流できる対応力を持つこと。彼らがこれから街の中で生活するためには、それが最も大切なのです」

今後の目標は、地域全体が彼らと共に助け合いながら生活する社会の実現であるという。つまり、「町全体が施設として機能する社会」である。柚の木福祉会では広報誌「柚の木だより」を、12,000部も発行し、関係者や地域の人たち、さらにはレストランを訪れた「食べるボランティア」(アンケートを記載してくれた方のみ)に毎号郵送配布している。広報費としては膨大な金額となるが、ケース記録のシステム構築同様に欠かせない活動なのだ。

「少なくとも(多くの施設の拠点である)志免町・須恵町といった郡部においては、ソーシャルインクルージョンを実現させたいですね」と、白谷理事長は未来像を語っている。街の中の社会変革をめざして動き続ける柚の木福祉会。これからこの地域でどんな理想的な福祉社会が生まれていくのか、その行方を見守っていきたいと思う。

(文・写真:戸原一男/Kプランニング

社会福祉法人柚の木福祉会(福岡県糟屋郡)
http://www.yuzunoki.or.jp

※この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時(2013年09月01日)のものです。予めご了承ください。